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月刊『京都』白川書院発行、昭和28年3月号
「京都についての感想」 青柳菁々


京都が爆弾の洗礼を受けなかったのは、それは芸術の街であり、美術工芸の都であり、医学の街であり、仏教専門の大学あり、東京と東西相対して教育の二大中心であったからだ。

京都には文学者、学者、歌人、俳句作家も多く、歌人では川田順、吉井勇のご両所、学者では新村出博士、小説家では日本第一に指を折られる谷崎潤一郎先生がいらつしやる。

この四人の方々が、天皇様が京都御所においでになつた一夜天皇様を囲んで、文芸について、京都について、いろいろ会談されたことがある。

私は東京の出版社、新潮社の編集長として谷崎先生にお目にかかつた。折から新潮社が戦後の出版復興のため『小説新潮』を発刊するときのことだった。天皇様を囲んでのお話の模様を、そのときの四人の方の座談会で語つていただき、新潮社に掲載させていただくためだつた。

ところが谷崎先生にお目にかかつたとき、同じ目的で「昨夜文藝春秋から記者がきたよ」といはれ、どうも君だけに承諾することはできないと玄関先で断られてしまつた。

私は動物園のあたりまで帰りかけたが、東京から遥々来たものを、編集長の面目にかけてもおめおめ帰れないと思ひ返して、夜も大ぶんくらくなりかけた谷崎邸の門を再び叩き懇願したところ、先生は話はぶっきらぼうな感じだつたが、私の言葉を受け入れられ、先にあげた川田順先生、吉井勇先生、新村出博士の三人の方にも斡旋してくださつた。

この座談会が実現し、『小説新潮』創刊第一号に掲載させてもらつた思ひ出は、今も忘れぬ感激である。

京都にはいろいろ昔からの芸術的な寺の建築や、山紫水明といはれる天地の自然の風景があり、このために平安京時代から今も尚、全国から観光の人が絶へないことは皆様のご承知のことであらう。

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