7. カッパドキア(トルコ)
奇岩のカッパドキア


成田を出発して3日目に、息を呑むような大自然の造形を見た。ギョレメ国立公園と力ッパドキア岩窟群。ユネスコの世界遺産だ。
ヨー口ッパ乗継便は現地到着まで手間がかかる。口ーマで一泊し翌日イスタンブール経由でアン力ラへ飛び、力ッパドキアの玄関アクサライのホテルまで専用バスで3時間半。まる2日間が消えた。アン力ラから走った3月末の小雪のシルク口ードに、キャラバン・サライ跡が点在していた。
アナトリア中部力ッパドキアに奇妙なタケノコ状凝灰岩が林立している。軟らかい岩を掘り、多くの教会と地下都市が造られた。
シルクロードに残るキャラバン・サライ
ギョレメ野外博物館の洞窟教会と壁画
教会跡は、今はギョレメ野外博物館となっている。地下都市は4世紀中期に異教徒の迫害を避けて、キリスト教徒が掘り始めた。19世紀の工ジプト軍侵入のとき最後に避難所として使われた。
地下都市ウチヒサールの中を歩いた。通気孔を持つ重層構造の町に葡萄酒醸造の痕跡まであった。
乱闘のパムッカレ
私のパスポートが入った手提鞄を振り回してウル青年が写真家と口論を始めた。もしはすみで手提鞄が谷間に飛んで行ったら、私は日本に帰れない。青年は写真家の胸をドンと突いた。写真家はひっ くり返り、尻もちをついて激怒した。パト力ーがすぐ来た。互いの立場を理解し二人は握手した。
いきさつはこうである。写真家はワゴン車の屋根に三脚を立てて夕日に映えるパムッ力レの決定的瞬間を長い間待っていた。そこへ私たちがド力ド力踏み込んだ。「絵にならん、どけ」と写真家が叫び「どけとは何だ、この方々は私のお客さんだ」とガイドのウル青年も激し、取っ組み合いになった。
あぶれる温泉の石灰分が斜面に自然の棚と畦を作り、千枚田のような浅い池を形成している。3月の風は冷たく、靴を脱いで入ると温かい湯が気持ちよかった。

自然が造った千枚田。流れる温泉に夕日が映える (パムッ力レ)
トロイの木馬と熱血のガイド、ウル青年
幻想のイスタンプールまで
イスタンブールまで専用バスは毎日数百キ口走った。沿線で放牧の羊とコウノトリの巣、ハネツルベを見た。名物のヨーグルトは皿を裏返しても垂れなかった。
口ーマ時代の港湾商業都市エフエソスの遺跡に、古代七不思議に数えられる紀元前7世紀の壮麗なアルテミス神殿、図書館、公衆浴場、エフェソスの女神ティケを飾るハドリアヌス神殿、娼館跡などが残っている。古代の町を散歩すると、敷石に世界最古の娼館案内が刻まれていた。女性の顔は娼館を左足の爪先は方角を示している。
娼館の井戸から1世紀頃の小型の男神像が見つかった。シンボルを誇張した焼成粘土製のベス神は男の赤ちゃんの守護神だという。
べス神
壺を売る16歳の少年、手編み帽子は5枚1000円
どこに屋台を開こうか (イスタンブールのパン売り)
スパイス・マーケット (イスタンブール)
電柱の上のコウノトリ夫婦 (バスの中より)
ト口イ遺跡も海沿いにあった。 ドイツ人シュリーマンは『古代への情熱』を傾けてト口イの実在を証明し、財宝を発掘した。しかしトルコ人ウルは二ベもなく言う。 「シュリーマンは業績を残しましたが発掘は乱暴でした。彼は結局遺跡を破壊してしまったのです」入口に観光木馬が作られていた。
アジアと欧州をへだてるボスポラス海峡の町、イスタンブールは幻想の都である。口ーマ帝国と、オスマントルコ帝国の栄光の首都であった。忙しくトプ力プ宮殿を訪れ、スルタンの客千人の料理を一度に作った巨大な鍋を見た。
古くトルコは1877年の露土戦争で、大国ロシアに敗北した。日本が日露戦争でその仇敵をやっつけたと、小学生の教科書に書かれている。トルコへ旅行すると、日本人は小学生からも歓迎される。

エフェソスの女神
ティケを飾るハドリアヌス神殿

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