5. キリスト降誕(イスラエル)
一昨年の冬、イスラエルに行った。暖冬でアーモンドの白い花がもう咲いていた。クリスマスは過ぎていたがキリスト降誕の場所を尋ねた。
降誕教会と境墓教会
キリスト降誕教会はベツレヘム にある。教会はキリストが生まれ たと信じられている洞窟を守るよ つに洞窟の上に建てられていた。
聖洞窟は祭壇の地下にあった。 階段を降りて行くと蝋燭が照らす右側の床に銀の星型がある。そこがキリストの降誕の場所だ。飼葉桶の所は金網で仕切られている。

祭壇の地下に保存されている聖洞窟。ここでイエスが生まれたと信じられている
目から涙が流れたという降誕教会の柱のキリスト画像
エルサレムもベツレヘムも石灰岩の町だ。洞窟が多く自然の洞窟も人が掘った洞窟もある。一千年前の羊飼いは日が暮れれば羊を洞窟に入れ羊と共に寝た。イエスが洞窟で生まれたのはこく自然のことだった。当時の飼葉桶も木でなく石造りだった。
家々は床や壁に岩盤を利用して いて、消防車の出番は少ない。
教会の柱の上部にイエスの画像があり、この年クリスマスの頃、イエスの目から涙が流 れて話題になった。私も日本を出る前、そのニュースを新聞で読んだ。
キリストは岩山の石切場のゴルゴタの丘で処刑された。その丘と 墓所がエルサレムの墳墓教会の中 に保存されていた。
墓所とゴルゴタの丘を保存する墳墓教会のキリスト像
嘆きの壁と岩のドーム
金色に輝く「岩のドーム」はイスラム教世界第3の聖地
エルサレムでは「岩のドーム」を見晴らす高台で弁当を食べた。高台には白い帽子を被った200人もの巡礼がいた。ポルトガルから来たイスラム教徒団だと自ら名乗った。彼等は昼食を取らなかった。 ラマダンの断食月であった。
エルサレムの「岩のドーム」はメッ力、メディナに次ぐ世界第三のイスラム教の聖地だ。聖地西壁はまたユダヤ教の「嘆きの壁」でもあるため、1929年にユダヤ人とパレスティナ人の紛争が起きた。イスラエルは1948年独立して「古くて新しい国家」となったが紛争は今日まで続いている。
嘆きの壁の前に行った。壁に触 れて祈るユダヤ人を男と女に仕切 板が区分けしていた。イスラエル 空軍が壁の付近で落下傘部隊除隊 式典の準備をしていた。
嘆きの壁
パラシュート部隊除隊式
民族と宗教
パレスティナ暫定自治区のベツレヘムに入ると検問所の武装兵士が我々の観光バスの中を調べた。逆方向のベツレヘム・ナンバーの車はエルサレムに入れない。車を乗り換えてエルサレムに仕事に行く。パレスティナ独立後はこの検問所が国境となるはすである。
ものものしいパレスティナ地区チェックポイント
へブライ語、アラビア語、英語で書かれた標識
イスラエル国民600万人弱のうち460万がユダヤ人、ユダヤ教徒である。ほかに120万近い アラブ系国民がいて大部分がイスラム教徒、10万足らすがキリスト教徒である。ユダヤ人のクリスチャンは統計上は出てこない。
「自衛隊のPKO隊員が30数人、ゴラン高原にタタミの部屋を作って住んでいて、ハイファ港からの貨物輸送を担当しています」
とガイドが説明した。海の5倍の塩分で生物が育たない死の海「死海」、地中海より海面が397メートル低い地球最低点には行く暇がなかった。力ナツ チでも沈まない浮遊体験が出来ず残念だったが、せめてもの記念に死海の塩のミネラル石験を買った。
聖地巡りの最後に、この国のガイドの義務だからとダイヤモンド研磨工場兼免税店に案内された。農工国イスラエルは優秀なダイヤ研磨技術で外貨を獲得している。
エルサレム旧城壁内の狭い道
        は暫定自治区

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