中国では”河”、といえば黄河、”江”、といえば長江(揚子江)のことである。蘇州、抗州、紹興、無錫などは江の南つまり江南にあり、洛陽、鄭州、開封などは河の南つまり河南にある。今回はその河南省の黄河の話をしよう。
主像、盧舍那佛の耳たぶの長さだけで1.9メートルもある
昨年11月、日本旅行作家協会取材団に参加し、中国文化発祥の地、河南を訪れた。旅程の半分を菊花咲き乱れる町々で過ごした。
菊を市花とする開封市では菊花展の真っ最中。北宋時代の首都の街並みを保存する「宋都御街」から竜亭公園まで、菊見の家族連れで雑踏が続いていた。
宋都御街入口の「’97中国開封菊花花会開幕式」横断幕
竜亭公園大殿
黄河を見たのは2日目である。午後遅く鄭州黄河支流の船着場に行くと、船員が遊覧艇のス力ートに着いた黄土を洗っていた。艇はスカートに空気を送って浮上し、後部の送風機2基を回して推進するホバークラフトだ。
茫漠たる黄土の中州
艇が走り出すと支流の黄泥が巻き上がって、フロントガラスはたちまち泥だらけ。黄河本流の水を被ってやっと視界が戻った。しばらく走るうち「あそこです」と指差されたところを見ると三方が山に囲まれている。そこが黄河中流と下流の境目なのだそうである。
フワッと艇が浮き、中洲の黄士に乗り上げて止まった。
「下船 − 参観一下!」(下りてちよっと参観しましょう)。
降り立つと、黄士は力ステラのように柔らかい。靴が7〜8センチめりこんで抜けなくなる。馬方が馬を引いて寄って来る。中洲をトボトボ歩く私の後ろを、乗れ乗れと馬方が離れない。
遊覧艇のフロントガラス
日本語ガイド楊健敏さんの話。
「下流の河南省蘭考県と山東省東明県の間で、黄河は最大の河幅24キ口に達します」。
いま眼前に広がる中洲はすでに 一望千里の雄大さである。
「皆さん、あの渓谷が項羽と劉邦が戦った場所ですよ。この付近では畑を耕す農民が時折り鋳びた鉄鎗などを見つけます」。
ホバークラフトで黄河中州を乗り上げる
私はその場所を見ながら、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」の一節を思い出している。楊健敏さんは、
「黄河が川筋を変えたのは23回に及びます。大部分は氾濫ですが、1664年と1938年の2回は人が流れを変えました」。
今年は不幸にも長江と松花江で大水害が発生し江沢民国家主席の日本訪問が延期されてしまった。黄河全長5464キロ。遊覧艇で走ったのは僅か数十キロにすぎないが、私にとっては1982年蘭州以来の黄河との再会だった。
今の水位は開封のグランドレベルより12メートルも上にある。
河岸に傾斜した太いパイプの建造物があった。水力発電所のように見えたが実は黄河の水を利用する灌漑施設で、水はパイプの中を下から上に流れているのだった。
中州で観光客を待ちうける馬方
タ陽が沈む頃、マイク口バスは「黄河大観」という看板の前で停まった。大黄河をミニチュアにした遊覧区であった。時間がない。バスを降りずに一周する。
「八イ、私達はガリバーになりました。今いるところは黄河河口の渤海湾です。あそこが鄭州市のシンボルタワー27紀念塔、隣が明日行く予定の開封の竜亭です」。
「郭州黄河ミニランド」はシンガポールとの合弁事業だ。竜門石窟や少林寺山門も見事に再現されていた。
台湾「小人国」には万里の長城や客家円楼等のミニチュアがあり、シンガポール「唐城」には兵馬俑坑のレプリ力があるが、黄河流域 5464キロ、青梅、甘粛、寧夏、内蒙古、陜西、山西、河南、山東の八省にまたがる全容を、自然の 小川3.7キロに縮尺した「黄河大観」は見こたえがあった。
少女の憧れは空軍。姉が将校の、妹が兵士の軍帽だ。帯の空色が空軍を、星の中の数字八一が正規軍を表す
中州で観光客を待ちうける馬方
【付記】江戸東京博物館(JR両国駅前) では「大黄河文明展」を11月23日まで開催中である。河南省代表団がこの展覧会のために来日したとき、一年前のお礼を申し上げることができた。
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