海外へ行く前に、その国の挨拶を1つか2つ覚える。イラン語の有難うは「モチャケラム」。まず飛行機の機内放送でこれが聞き取れて嫡しかった。現地で覚えたのは、ヘンダワネとトウモロコシ。前者は西瓜、後者は「私を責めないで」という意味だった。
1997年9月、飛行機がイラン領空に入るとイスラム戒律による女性服装令について説明があった。女性は指示を聞き用意の着替えをしなければならない。八タミ政権以後規制緩和の流れはあるが ス力ーフを被り体の線が出ないよう身を整えるのだ。男性には成田からビール1缶さえ持ち込めないアルコール禁止令が厳しい。
イラン・イスラム共和国は力スピ海の南にあり、砂漠や荒地が多く、人口は約6000万余。遊牧民を含む多民族が生活する世界屈指の産油国である。緩やかなイスラム圏とは異なり、戒律が最も厳しいシーア派に属している。
砂漠のガス欠
テヘランで飛行機を乗り継いで ペルセポリスへの拠点、シーラーズへ飛んだ。世界遺産の遺跡まで 約60キ口は観光バスで行く。
イランでは古代ペルシャの遺跡ペルセポリスと、イマム広場など3つの世界遺産(文化遺産)を、ユネスコに登録している。
実は5月号のコモド島も7月号 の氷河湾もユネスコ世界遺産(自然遺産)の国立公園である。
シーラーズの町を抜け砂礫砂漠に入るとバスが動かなくなった。ガイドが叫んだ。「あのう、女性の方ご協力ください。後ろの車からガンリンをもらいたいんです」故障はガス欠だった。砂漠の中に ガソリンスタンドはない。
道端に日本女性が整列して手を振る。瞬く間に積荷満載のトラックが止まった。首尾よくガソリンを分けてもらうと車内が和んだ。談笑が弾み賑やかになった。
紀元前6世紀末のアケメネス朝ペルセポリス。祝祭の殿堂は、クセルクセス万国門へ続く大階段から始まる。圧巻は23民族使節が朝貢する行列のレリーフ、百柱の間、謁見の間の柱や礎石。刻まれた楔形文字の解読は古代を知る鍵だ。イラン航空シンボルマーク幸福の鳥ホマの彫刻もあった。
ペルセポリスの大階段
朝貢行列のレリーフ
万国門(壁面に楔形文字がある)
ゾロアスター(拝火教)の神殿廃墟に立ち寄ってシーラーズへ帰る道すがら緑の草原にジプシーの移動集落を見た。日本人には馴染みが薄いが、ジプシーは世界に散在する少数民族で、総数7、8百 万人と推定される。
翌日、街を歩くと3、4歳の可愛いいジプシーが私についてきてガムを買ってくれとせがんだ。
自分で潰して食べる料理(この服装が人目を引く)
チャドルの貸衣装を着て
イラン・イラク戦争戦没兵士の顕彰幕が随所にひるがえり名誉の戦死が絵入りで説明してあった。
日本人のチャドル姿は人目を引いた。人々はにこにこして手を振ってくれる。堪えきれずに吹き出して笑った若い女性もいた。
シーラーズのバザールを歩いてサフランとピスタチオ、乾燥イチジクと薔薇の陰干し、ギャズ飴、箱根細工に似た木箱を買った。
チバザールの看板娘(子供服店)
バザール中庭のキャラバン・サライ跡
バザールの中は、行くも戻るもままならぬ雑踏だった。満員電車の中で起きるようなことが起きて被害が続出した。「イラン女性だったら騒ぎ立てるのに、日本女性は大声を出さないから触られるんです」とガイドが言った。バザールに中庭があった。昔はキャラバン・サライだった場所だという。
チャイ八ネ(茶店)で水煙草を吸った。垂直の筒のてっペんに煙草を詰め、炭火をのせてくれる。長いホースで吸うと、水を潜って煙が来る。旧ソビエトのマホル力 煙草に似た味がした。
水煙草とチャイ(茶)の憩い
ガス欠したり、駐車違反で罰金を取られたり、不運だった運転手は、別れが近づいたとき日本語トウモ口コシという発音を小耳に挟んで、ホッホッホと笑った。
ヘンダワネを売る店
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