アラス力の氷河は山岳氷河だ。遥か昔の積雪が圧縮されて青い氷となり、1日数センチから数メートルの速度で渓谷を流れる。 巨大な氷の絶壁が海面に崩落するとき遠雷のような響きが轟く。旅の八イライトは、氷河終末の崩落を海から見るときである。
氷河見物のアラスカ航路は毎年5月中旬から9月にかけて4ヶ月運行される。私は今年5月9日、 バンクーバーからリーガル・プリンセス号(7万トン)に乗船し、16本の氷河が注ぐアラス力氷河湾まで往復7泊8日の旅をした。
出港翌日は一路北上した。船は波静かな内海航路を滑るように進む。一日中船窓から緑の原生林の島々と遠い山々の残雪を見た。
リーガル・プリンセス号。7万トン14階建(13階なし)。乗客定員1590人。ショー劇場、ピアノバー168席、カジノ、図書館、美容院、サウナ、プール、ジャグジー、卓球台などを設備。 1991年建造、リベリア船籍
外気温は朝夕6〜7度、日中15度ぐらいで、さすがにデッキの温水プールで泳ぐ人はいない。
船客は米国1000(中国系を含む)、カナダ300、日本78、 英国とオーストラリアが各60、台湾、香港が若干、日本語と中国語のメニューがダイニングルームに備えてあった。車椅子に乗った超肥満中年夫婦も、介添えを連れた盲目の少女らも、船内を活発に動き回っていて微笑ましい。
ショー劇場は740
口シア皇帝は1867年アラス力を720万ドルでアメリ力に売った。後に金鉱が発見され1億5800万ドルもの金が掘られた。
チャップリンの『黄金狂時代』(1915年制作)はその頃のアラス力を舞台にした名作である。
アラス力州都ジュノー(人口3万) も、スキヤグウェー(人口800)も昔の金鉱町だ。下船して夢と金鉱を運んだ山岳鉄道に乗る。
スキャッグウェーの街
スキャッグウェーからホワイトバスまで177kmを走る山岳鉄道。ゴールドラッシュの1898年建設。879mの標高差は車窓に雄大な景観を展開
待望の氷河湾に入る14日早朝6時に目を覚ます。デッキで寒風に震えていると、制服姿も漂々しい女性パークレンジャーが氷河湾入口のチェックポイントから乗船してきた。客船を一日一隻に入湾制限し、航路案内をするのが任務だ。自然保護のための制限だが、氷河湾入りの権利を争って船会社の間で激戦があるという。
午前9時、湾の最奥部に到着した。3時間停船。旋回して右舷左舷を交互に氷河に向ける。船客は防寒具に身を固めデッキで息を呑む。キヤビンは空っぽになった。
16本の氷河のうち主要な氷河では、英語の解説が放送される。月に4日しかない晴天に恵まれ、視界は絶好だ。氷河の彼方に純白に輝く山は、滅多に見られない東南アラスカ最高のフェアウェザー峰4696メートルに違いない。
もし海に丸太のようなものが見ええたらそれはアザラシだ。何人かが遠い鯨の汐吹きを見た。
大崩落があれば7万トンの船がグラリと揺れるそうだが、中位の崩落でも海面が盛り上がった。
パークレンジャーが配った地図を見ると200年前の氷河湾は入口まで氷河で被われていて、船が入れなかったことが分かる。氷河期の終了と地球温暖化現象のために氷河は年々後退している。
地球陸地の10%を覆う氷河が溶ければ、世界の都市の半数が水没する。氷河の前進後退は人間の生活に深く係わっている。
最大のグランド・パシフィック氷河。デッキで息を呑む乗客
シャンペン・ウォーターフォール、グラスの数は647個、13段は船の階数
この夜、船長招待のシャンペンウォーターフォールが催された。次の日、風光明媚なバラノフ島のシト力 (人口9000)に寄港した後、船は一路南下した。航海8日目の17日午前バンクーバーに帰り、その日のタ方、新しい乗客を乗せて再び出航する。夏の4ヶ月間、乗組員の休日は1日もない。
バラノフ島キングサーモンを釣り上げた杉山幸雄、マサ子夫妻。日本人客78人と釣船仲間のアメリカ人客の食卓を飾った
ジュノーの聖ニコライ正教会、1894年創立
花で埋まったシトカの民家
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